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猫屋仲見世通り

黄昏映画館

梅雨が明けました。
最近朝はお米です。
ついに寝室の壁一面を本棚にしました。
会社近くの二番館の映画館がマイブームです。
以上近況。

子供の頃、かんしゃく持ちの父に、母と家を締め出されては映画館に行きました。
まだ完全入れ替え制の映画館が少なかった時代です。
幼い私にもわかるコメディーやディズニーアニメなんかをよく観ました。
思いきり笑えるのに、背後にいつもつきまとう不安と心細さ。
あのなんとも空虚で悲しい気持ち。
未だにコメディー映画を観ると、奇妙にゆがんだ気持ちになります。
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その映画館は海辺にあった。

砂浜の続きのような白い壁の、空の切れ端のような青い屋根の。

上映作品は出ていない。
チケット売り場も無人。

受付をすり抜けて、赤い革張りのドアを押し開く。
ちらほらと人の頭が見える。見たところ全員女性のようだ。

前から3列目の真ん中に座る。
斜め前の座席に、おかっぱの女の子。
やがて照明が落とされ、小さなスクリーンに、映写機の明かりがはたはたと落とされる。
かたりと音がして、隣りの座席が下げられた。小さな女の子が腰掛ける。
赤い縁の眼鏡に、映写機の光が反射する。
彼女は私の方に顔を向けると、唇に人差し指をあてた。

かーってうーれしーいはーないーちもーんめ

女の子たちが手をつないで向かい合っている。

まけーてくーやしーいはーないーちもーんめ

はじっこにいるのはあの頃の私。
どことなく所在無げにしている。

あーのこーがほーしい
あーのこーじゃわーからん

そうだ、このあとみんなが「私はいらない」と言い出して、泣いたんだった。

少女たちの後れ毛が夕日に光る。
誰かが後ろの方で席を立った気配がした。

画面が中学校の校舎に切り替わる。
音楽室のピアノ。
黒板に「4時合奏」の文字。
真剣な顔で楽器を組み立てる私。

前の席に座っていたおかっぱの女の子が立ち上がった。
スクリーンをバックに、白く顔が浮かび上がる。
制服の肩の線。懐かしい、褪せたような紺の箱ひだのスカート。

あ、と私は小さく声をあげる。
それは中学生の私だった。
学校指定の鞄を下げて、平然と歩いて行ってしまう。

彼女の後ろ姿を見送る間にも、場面はどんどん進んで行く。

高校生の時、初めてアルバイトをした駄菓子屋。
ひどい振り方をしてしまった男の子。
サークルの部室。
食堂で友達としたくだらない話。
アルバイトをしていた本屋の制服。
一人暮らしをしていた部屋。
最初に勤めた会社の、趣味の悪い壁紙のエレベーター。

場面が切り替わる度、ひとり、またひとりと、背後の気配が去って行く。

そして映し出されるのは、映画館。
砂浜の続きのような白い壁の、空の切れ端のような青い屋根の。

私の後ろ姿が赤い革張りの扉を押し開ける。

「ここでお別れ」

ふいに隣りから少女の声。
赤い縁の眼鏡の、幼い私。

「未来は観れないの」
あなたは?あなたは過去の私ではないの?

小さな私は首を振った。
「よく似ているけど違うの。私はあの日あなたが置き去りにしたもの。また違うあの日になくしてしまったもの。少しずつ降り積もった澱。いつの間にかついた染み。そういうものの寄せ集め。だから、あなたであって、あなたでない」

そう言って、小さな手で扉を示す。
なんだかもっと訊きたいことがあるはずだった。
でも思い出せずに、私は席を立つ。
暗い通路をゆっくりと歩く。
最後尾に座る、幾分皺の増えた私と会釈をかわして、重い扉を開いた。
映画館を出ると、少し先に見えるバス停にバスが止まっていた。

最初は歩いて、ややあって駆け出す。

あのバスは、往くべき場所へ連れて行ってくれるだろうか。
by nyankoya | 2006-08-01 20:14 | 心の裏側
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by nyankoya
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